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山口地方裁判所 昭和58年(ワ)44号 判決

原告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

井貫武亮

右同

清水茂美

右同

内山新吾

右同

於保睦

右同

坂元洋太郎

右同

田川章次

右同

三浦諶

右同

吉川五男

右同

秋山正行

右同

山口県

右代表者知事

平井龍

右指定代理人

原伸太郎

外五名

主文

一  被告は原告に対し、金一〇万円及びこれに対する昭和五八年三月三〇日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

五  被告が金二万円の担保を供するときは右仮執行を免れることができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和五八年三月三〇日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告はタクシー会社防府構内タクシー(以下構内タクシーという。)に勤務するタクシー運転手であり、被告は、普通地方公共団体で、山口県警察を設置し、管理、運営するものである。

2  原告が現行犯逮捕されるまでの経緯

(一) 原告が昭和五七年一二月一六日午後七時二七分頃、無線指示により、乗客を迎えにゆくため、制服を着用し構内タクシー名の社名灯のあるタクシーを運転して、山口県防府市桑山二丁目吉本花城園前道路を走行中、折から定置式速度取締に従事中の山口県防府警察署巡査部長小川勝也、同柴田武(以下小川、柴田各警察官という)らから停止するよう指示され、その誘導に従い右道路付近の駐車場に停車したところ、小川警察官は運転席の原告に対し、速度違反であるから運転免許証を持って降車し、速度違反記録装置の記録紙(以下記録紙という)を確認するよう求めてきた。

(二) これに対し原告は、運転席側ドアを開け速度違反はしていない旨述べ、右の要求をいずれも拒否したところ、小川警察官は免許証の提示を求めたので、原告は運転席に腰掛けたまま、開いた運転席ドアー内側に立つ同警察官に対し、その記載事項がよく見えるように免許証を提示し、さらに原告は、氏名を問われ、構内タクシーのコウノであると正直に答えた。

ところが小川警察官は、なおも原告に対し、免許証の手渡しと記録紙の確認を要求し、さらに柴田警察官も加わって、原告に対し、右要求を繰り返した。

(三) そのうち構内タクシーの同僚運転手河村耕介がたまたまタクシーを運転して通りかかったので、原告は同人に構内タクシーへの連絡を頼んだうえ、自車のエンジンを切って、前照灯、室内灯を消し、運転席に座り込み、開いた運転席ドアー以外のドアーをロックして抗議の意思を表明した。

(四) しかるところ、小川警察官らは、原告の人定事項確認の措置は取らないまま、免許証の手渡しと記録紙の確認を求めることに固執し、構内タクシーの同僚運転手林勝春がやってくると、小川警察官らはパトカーの応援を要請し、現場に応援に来た警察官とともに数名で交々、「こんな生意気な奴逮捕してぶちこめ」「今後構内タクシーの事故があっても行かん。」などと怒鳴り散らし、同日午後七時四五分頃、七、八人がかりで、運転席のハンドルにしがみつく原告を無理矢理タクシー外へ引張り出し、手足をとってパトカー内に押し込んだ。

(五) 右警察官らは右逮捕に際し、原告を乱暴に引き回した結果、車の内外に原告の身体を打ちつけ、また地面に引き倒すなどして、原告に五日間の安静加療を要する背部、頸部、両上肢挫傷の傷害を負わせた。

3  留置の経緯

(一) 原告はそのままパトカーに乗せられて同日午後八時頃山口県防府警察署(以下防府署という)へ連行され、弁解録取等の手続をとられ、その際、免許証に基づく人定事項確認の質問に対しては、免許証の記載どおりである旨答えたが反則手続の告知書への署名は拒否した。

(二) 原告はその後留置され、翌朝、指紋を採取され、顔写真を撮影された後、午前一〇時頃と午後三時頃の二度にわたって取調を受け、いずれの際にも被疑事実である速度違反についてはこれを否認したが、同日午後四時三〇分頃防府区検察庁の検察官に送致され、午後五時二〇分頃になってようやく釈放された。

留置されていた間、原告は留置場からの出入の際及び検察庁に送致の際三度にわたって手錠をかけられた。

4  本件逮捕の違法性

(一) 現行犯逮捕においても逮捕の必要性が要件とされていると解すべく、犯罪捜査規範二一六条が交通法令違反事件の捜査にあたっては、現行犯の場合でも「逃亡その他の特別の事情がある場合のほか」は逮捕を行わないようにしなければならない旨定めるのは、交通事件について特に右の理を明らかにしたものにほかならない。そして、右「逃亡その他の特別の事情」は、現に逃亡しかかった場合や、逃亡したと同程度に捜査に重大な支障を来すことが予想される場合を言うものと解すべきである。

(二) 而して原告は、警察官の求めに応じて、自車を停めて捜査に協力し、免許証を提示し、自らエンジンを切っており、一度もその場を離れることなく、逃走しようとはしていないし、他に「逃亡その他特別の事情」はなく、逮捕の必要性がなかったことは明らかである。しかるに警察官らは、原告が警察官らに対し従順な態度をとらず、免許証の手渡しと記録紙の確認という義務なきことの要求を拒否したことに激高し、制裁的に逮捕にふみきったもので、本件逮捕はその要件を欠き違法である。

5  留置の違法性

仮に本件留置手続だけを取り出してみても、逮捕直後には、警察官らは、原告の運転免許証等により、その住居、氏名等の人定事項は確知したのであるから、引き続き原告の身柄を拘束する必要は全くなかったものであり、本件留置はその必要性(刑事訴訟法二〇三条一項)がないのになされた違法なものであることは明らかである。

6  本件逮捕及び留置に関わった警察官は、いずれも当時防府署に勤務する山口県警察所属の警察官である。

7  損害

原告は、違法逮捕されたうえ逮捕時の実力行使によって、五日間の安静加療を要する、背部、頸部、両上肢挫傷の傷害を負わされ、逮捕後釈放まで約二〇時間もの間不当な身柄拘束を受けた。また、留置中三度にわたって手錠をかけられたが、これは戒具使用に関する被疑者留置規則に違反するものであり、さらに指紋採取と写真撮影を強要され、屈辱を受けた。

以上により原告が被った精神的苦痛を慰謝するには少なくとも金一〇〇万円の慰謝料を要する。

よって、原告は被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき、慰謝料金一〇〇万円及びこれに対する弁済期後である昭和五八年三月三〇日(訴状送達の翌日)から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否〈省略〉

理由

一  請求原因1、同2の(一)の事実、同2の(二)のうち原告が免許証をその記載事項がよく見えるように提示したとの点を除く事実並びに、原告が室内灯を消し、開いた運転席ドアー以外の三つのドアーをロックした後、小川警察官らがパトカーの応援を要請し、当日午後七時四五分頃、警察官らが七、八人がかりでハンドルにしがみつく原告をタクシーから降ろし、手足をとってパトカー内に入れたこと、そして請求原因3の各事実、同6の事実は当事者間に争いがない。

二  右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すると以下の事実を認めることができる。

1  現行犯逮捕に至る経緯及び逮捕の模様

(一)  防府署所属(当時)の柴田警察官、小川警察官、山崎警察官、宇津警察官及び横田警察官は、昭和五七年一二月一六日午後六時から防府市桑山二丁目市道において速度違反の取締に従事していた。

その分担は現認係が山崎警察官、記録係が宇津警察官で、他は取調係であった。

取締を開始するにあたって警察官らは、あらかじめ音叉を用いて測定機に異常がないことを確認した。レーダースピードチェッカーの性能上の制約(走行車両が二台以上の場合には、いずれの車両について測定が為されたか不明となる。)から、現認係は、本件市道上を走行してくる車両が一台の場合のみ、違反を検挙することとされていた。なお、レーダースピードチェッカーによる測定値上の誤差はプラスゼロ、マイナス三キロメートル毎時であった。

(二)  同日午後七時二七分頃、原告は構内タクシーの制服を着用し、本件タクシーを運転して、制限時速毎時四〇キロメートルの本件市道を毎時六一ないし六四キロメートルで走行していた。そのとき原告車両の前後を走行する車両はなかった。

(三)  現認係の山崎警察官は、レーダーにより本件市道上を走行してくる原告運転のタクシーが速度違反をしていることを探知したので、記録係の宇津警察官に「構内タクシー一台のみ。速いぞ。」と連絡し、これを聞いた柴田警察官は、原告運転のタクシーに停車の合図をし、付近の駐車場に誘導した。

(四)  小川警察官は、停車した原告のところに赴き、原告が運転席のドアを開けたのでその内側に立って、原告が速度違反をした事実を告げたうえ、免許証を持って降車し、記録紙を確認するよう求めたところ、原告は速度違反の事実を否認し、右要求を拒否した。小川警察官が説得を続けるところへ柴田警察官も来て、原告の速度が制限時速を二一キロメートル超えていた旨告げ、同じく降車及び、記録紙の確認を求めたが、原告はやはりこれに応じず、運転席以外のドアをロックした。

(五)  小川警察官らは、記録紙の確認を求める一方、原告の氏名を質したところ、原告は、構内タクシーに所属するコウノである旨を答えた。ところが該タクシーの乗務員票の乗務員名の記載には「山田」とあったので、小川警察官は原告に免許証を提示するよう求めた。すると原告はポケットから免許証を取り出してこれをわしづかみにして左脇腹付近で示したが、照明が十分でなく、また原告の指が邪魔になって、警察官らはその記載内容を確認することができなかった。

(六)  そのうち、山崎、宇津両警察官らも加わり、原告に対し、免許証の交付、記録紙の確認の要求及び説得を続けたが、原告はこれらを全く無視し、タクシーの無線で、同僚にあてて、弁護士を頼む旨依頼した。

右説得の間、原告は何度か運転席のドアを閉めようとしたが、警察官らの身体が邪魔になってこれを果たせなかった。また警察官らはエンジンを切るよう要請したが原告はこれに従わなかった。

(七)  柴田警察官は、以上のとおり、原告が速度違反を否認するのみで、警察官らの十数分にわたる再三の説得に対しても降車して記録紙を確認することも、免許証を提示することもせず、構内タクシーのコウノと名乗りはしたが、乗務員証の名前とは異なっており、それ以上の説得に対しても応じる気配は見せず、エンジンもかけたままで、再三ドアを閉めようとしたことなどから、原告に逃亡及び罪証隠滅のおそれがあるものと判断し、小川警察官の同意を得たうえ、原告を逮捕することとした。

これに先立って、構内タクシーの同僚運転手の訴外林が現場にやって来てさかんに警察官に抗議しており原告がさらに同僚に応援を求めて、現場が混乱することが危惧されたので、小川警察官は無線で警ら中のパトカーに応援を求めた。右連絡によって後記逮捕の前後ころ、三浦警察官ほか二名が現場に来た。

(八)  柴田警察官らが原告に対し、逮捕する旨告げたところ、原告はハンドルにしがみついて降車を拒んだので同警察官が原告の両肩を、小川警察官が原告の右手をそれぞれつかんで原告をひっぱり、さらに山崎警察官が左手をつかんで原告をタクシーから降ろし、次に山崎警察官と宇津警察官がそれぞれ原告の左右の腕をつかんでパトカーのところへ連行した。すると原告はパトカーへの乗車を拒み、警察官らの腕をふりほどいて、両手を上にあげ、足を前につっぱるようにして抵抗し、これを制圧しようとした警察官らともみあううち、転倒し原告は尻、腰などを打った。

2  留置にいたる経緯及び留置中の状況

同日午後七時五九分、小川警察官らは原告を防府署に引致し、大西警察官が弁解録取の手続をとった。これに対して原告は黙秘し、この間三浦警察官は、原告の免許証の記載事項(氏名、住所等)を確認し、部下に原告の勤務先である構内タクシーに対する照会、身元確認のための調査、及び反則手続による処理のための照会、調査を指示し、その結果原告が免許証の住所地に居住し、構内タクシーに勤務していることが判明した。その後三浦警察官は、原告に対する取調べを行い、反則手続による処理をするため反則告知をしたが、原告は速度違反の被疑事実については、検挙当時、同時に停車を命ぜられた他の車があったこと、及び原告は違反をしていない旨述べたのみで、三浦警察官の他の質問に答えようとはせず、反則告知書の署名、受領を拒否した。

以上のように、原告がその被疑事実を否認し、他の車両の違反行為であったかのようにほのめかしただけで、全く取調べには応じなかったこと、などから三浦警察官は、原告からさらに詳しい事情を聞く必要があり、そのための説得には時間を要すると思われたこと及び原告の検挙時以降の一連の態度からみて、直ちに釈放すれば、偽違反車作り(偽の目撃証人の作出)などの罪証隠滅行動に出るおそれがあるものと判断し、原告を引続き留置することにした。

原告は、同日防府署に留置され、翌一七日の午前中、指紋採取及び顔写真の撮影をされた後警察官の取調べを受け、昼になって、いったん留置場に戻された後、午後三時頃にも取調べを受け、その後防府区検察庁の検察官に送致されたが、同日午後五時二〇分頃釈放された。

留置中、留置場を出て、取調室や撮影室などに赴く際、あるいはこれらの場所から留置場に戻る際など三度にわたって手錠をかけられた。

以上の各事実が認められ、《証拠判断略》。

三  現行犯逮捕の違法性の有無について

1  現行犯逮捕の場合には刑事訴訟法一九九条、同規則一四三条の三は準用されておらず、令状による逮捕の場合と異なり私人もなしうるけれども、このことから直ちに、現行犯逮捕の場合においては逮捕の必要性を要しないとの結論を導き得るものでなく、逮捕が人の自由を拘束するという重大な苦痛を与えるものであることに鑑み、人権保障の見地から考えると、令状による逮捕と現行犯逮捕との間にこの点において異なった扱いをすべき理由はなく、現行犯逮捕の場合に限って、罪証隠滅の虞れも逃亡の虞れもないのに身柄を拘束できるとする根拠は見いだしえない。そして、右の点からすると、刑事訴訟法二一七条は、軽微事件の現行犯逮捕については、罪証隠滅の虞れを理由とすることは許されず、逃亡の虞れがある場合にのみ許されることを規定し、現行犯逮捕の場合にも逮捕の必要性を要することを前提とした規定であると解するのが相当である。従って現行犯逮捕においても逮捕の必要性を要するが、現行犯の場合は、犯人の氏名、住所等の身元関係が明らかでないのが一般であるから逮捕の必要性は事実上推定されることになる。而して逮捕の必要性の存否については、被疑者の年齢、境遇、犯罪の軽重、態様等を考慮して判断すべきであるが、本件のような交通法令の違反事件は、日常、一般市民が経験しやすく、かつ、形式犯であって罪質も軽微であることが少なくないから、その特性に鑑み、逃亡その他の特別の事情がある場合のほかは逮捕を行わないようにしなければならないと、犯罪捜査規範二一六条においても明示されている。

しかし右の考慮の反面、交通法令違反の事件においては、大量の同種事犯を限られた人員で、適正かつ迅速に処理しなければならず、このことから取締状況や、現場での取調べの実状に特殊性が生じることも認めざるを得ない。そして免許証には免許を受けた者の本籍、住居、氏名、生年月日が記載され(道路交通法九三条一項)顔写真が貼付してあり、右記載事項に変更のあったときは、これを届出るべきことが罰則をもって義務づけられ(同法九四条一項、一二一条一項九号)たうえで、運転者に免許証の携帯義務を課していること(同法九五条、一二一条一項一〇号)に鑑みると、交通事犯における逮捕の必要性の有無の判断にあたって最も重要な要素のひとつである違反者の人定事項の確認に際しては、免許証によるのが、最も簡易かつ正確を期し得るものということができる一方、前記の取締事情から、被疑者を現場に任意に待機させたまま人定事項につき照会等の捜査を別に進めることはその態勢上著しく困難であって、警察官としては違反者に対しては、原則として免許証の提示を求めるのも無理からぬところであり、特段の理由(免許証の不携帯など)もなく違反者が免許証の提示を拒みことさらに非協力の態度をとる場合は、逃亡その他特別の事情があると認められてもやむを得ない点がある。

もちろん、警察官としては、その職掌がら、できるだけ、違反者を説得して、免許証を提示させるなど、その氏名、住所を明らかにし、無用な逮捕を避けることが要請されるが、その尽くすべき措置にも、前記交通法令違反事件の取締の特殊性からよって来たる限度があると言わざるを得ない。

2  そこで本件についてみるに、前記二の1の(二)、(三)、(四)で認定したとおり、原告は、速度違反をしていながらこれを否認し、警察官らの約一八分間にわたる再三の説得に対しても、免許証を提示せず(原告はこれをしたと主張するが、その「提示」の態様は前記二の1の(五)に認定したとおりであって、警察官らにおいて免許証の内容を確認しうるものではなかった。)、エンジンをかけたままの状態で、降車もせず、タクシーの乗務員票の記載とは異なる名前を名乗っていたのであるから、右状況では、警察官において不審を抱き、原告を拘束せずそのまま走り去られてしまうと、違反者が誰であったのかが不明になるおそれがあるものと懸念するのも無理からぬところであり、逃亡及び罪証隠滅のおそれがあるものと判断したのもやむを得ないものと言わざるを得ない。

なお、原告は、逮捕当時原告が構内タクシーの従業員であり、コウノと名乗っていたことは警察官らも分かっていたのであるから、構内タクシーに電話で照会するか、現場に居合わせた原告の同僚に聞くかして、原告の身元の把握に努めるべきで、右のような措置を怠ってした本件逮捕は違法である旨を主張する。しかしそのような措置を講ずることは、前述の交通法令違反事件の大量取締、適正、迅速処理の要請に反することになるのみならず、仮に右照会で本件タクシーの運転者の氏名が判明したところで、その者が現に運転している者であることを認めるに足りる的確な資料がないのであるから、結局右方法によっては運転者の人定事項を確認することはできないものといわざるを得ない。

してみると本件において、柴田警察官らが、原告の言動からして、このまま放任すれば逃亡のおそれ(本件のような場合は、逃亡のおそれとは、当然に罪体と行為者との結びつきについての罪証隠滅のおそれを含むものである。)があると判断して現行犯逮捕に及んだことはやむを得ないところというべきであって、これをもって違法な逮捕であるとは認められない。

3  逮捕時の実力行使について

原告の現行犯逮捕の際の原告の抵抗の状況及び警察官らがとった実力行使の態様、程度は前記二の1の(八)に認定したとおりであって、原告が逮捕時、タクシーから降車することを拒んでハンドルにしがみついていたことや、パトカーに乗せられまいと抵抗したことからすると、右の程度の実力行使は、逮捕に通常伴うものとして、許されると解すべきである。

四  留置の違法性について

1  現行犯逮捕された被疑者の引致を受けた司法警察員は、被疑者に対し弁解の機会を与えたうえ、留置の必要がないと認められるときは、被疑者を留置せずに直ちに釈放しなければならず、更に、留置した場合においても、留置の必要がなくなったと認められたときは被疑者を釈放しなければならない。そして、逮捕後においては、逮捕前の交通違反現場での取調時とは異なり、単に被疑者の氏名、生年月日等が判明しただけでは直ちに留置の必要が消滅したとは解しがたく、被疑者の供述内容及び供述態度のほか、その家族関係、勤務状態等より広範な資料を総合して留置の必要性の有無(特に無いこと)を判断すべきものと解するのが相当である。

もっとも本件の被疑事実は速度違反であって、反則手続の処理が可能であり、逮捕によって原告の受ける経済的損失も大きい事などにも鑑みると、右にいう留置の必要性の有無に関する資料の捜査、取調はできる限り迅速に行われるべきであり、かかる手続をしないで放置しておくことが許されない事は言うまでもないが、逮捕及び留置手続に伴う警察内部の事務処理上必要とされる各種手続やその関係書類等の作成に通常必要とされる時間のほか、右に述べた各種資料の収集に必要な捜査時間内は留置されるのもやむを得ないといわざるを得ない。

2  本件においては、引致後免許証の記載事項は確認できたがその裏付けをとる必要があり、また原告は前記二の2に認定のとおり逮捕の前後を通じて被疑事実を否認し、漠然と原告の走行中他に違反車両が有った旨の供述をしていたのであるから、裏付け捜査のためさらに原告から詳細な供述を求める必要があり、そのため原告の黙秘権を侵害しない限度での説得のために有る程度の時間が必要であったこと、を考慮すると、原告の言うように弁解録取後直ちに釈放されるべきであったとは認められない。ただ本件犯行の罪質に照らすと、いたずらに留置を継続して原告の供述を求め続けることは許されるべきではなく、身元の確認そのほか前記の資料収集を経たうえ、原告の態度から更にこれ以上の供述を得ることが見込まれなくなったなら、釈放に向けての手続、及び原告の今後の出頭を確保するための手続をとるべきであったと言わざるを得ない。そして本件における原告の供述内容、態度、留置中の資料収集の経緯にてらすと、捜査及び警察内部の事務処理その他各種手続のために留置の継続が認められうる時間としては一二時間位と認めるのが相当である。

3  なお、留置中移動時の原告に対する手錠の使用、原告の指紋採取、顔写真の撮影等はいずれも犯罪捜査規範一二七条、一二八条、一三一条、指紋等取扱規則三条、被疑者写真取扱規則二条、に基づくものであって、本件でこれらを実施するにあたり、警察官らに違法、不当な取り扱いがあったと、認めるに足りる証拠はない。

五 以上によれば、防府署所属の警察官は少なくとも過失により、引致を受けた原告を翌日午前八時以降、必要な範囲を越えて違法に留置し、原告の身体の自由を侵害したものであるから、被告は国家賠償法一条一項により原告の被った損害を賠償する責任がある。そこで原告の被った損害につき検討するに、原告が本件留置により精神的苦痛を受けたことは推認に難くないが、そもそもの発端となった本件逮捕及びその後の相当時間の留置については必要性が認められること、その他前記認定の諸事情を総合すると、右精神的苦痛を慰謝するには金一〇万円をもって相当と認める。

六  以上の次第であるから、本訴請求は慰謝料金一〇万円及びこれに対する弁済期後である昭和五八年三月三〇日(訴状送達の翌日)から支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行宣言及びその免脱宣言につき同法一九六条一項、三項を各適用して、主文のとおり判決する。

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